約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

カテゴリ:自分事


7/1~7/3の日程で東京へ行ってきました。
7/2の秋田魂心会 に参加するために。

前回東京を訪れたのは震災のちょうど一週間前。
震災後初の東京で、いろんな人と会い、飲んだり食べたりしながら、語る。
海士町に来てからはじめて再会する、という人も多く、なんだかいろいろ感じるところがありました。

1.ちょっとだけ、気になったこと

大したことじゃないんですが。

東京で会った知人のうち、3人がひどい咳をしていました。気管支炎なんだとか。 
流行しているんだろうか。感染する類の病気ではないと思うのだけれど。

あと、米子~羽田間の飛行機でCAや機長がアナウンスをやたらととちるのが気になりました。
語尾を言い直したり、英語で噛んだり、着陸直後に着陸した空港名が出てこなかったり。
そういえば京急の車掌も「この電車は成田空港…羽田空港行きです。」って言ってた。
なんだろう、みんな疲れているのかな?

2.優先順位の不在

海士町から来たということで、やっぱりいろいろ聞かれます。
で、一番聞かれるのが「今後のこと」。

もちろん僕も考えていないわけではないんですが、
改めて聞かれて答えてみて、優先順位が自分の中にない、ということに直面しました。

・何をしたいのか。
・どこにいたいのか。
・誰と一緒にいたいのか。
・どうやってキャリアを形成したいのか。

関心のあることはいくつかあるけど、それらとどう関わるのか(仕事にするのか?)、とか。
秋田なのか、東京なのか、海士なのか、はたまた別の地域なのか(まさか海外はないと思うけど)。
誰と一緒に仕事をするのか、誰の近くにいるのか。
何を目指すのか。どんな専門性を身に付けるのか。そのために何が必要か。

「時期が来ればなんだかんだで決まるだろう」

楽観的というよりノーテンキかもしれない、とちょっと不安になってます。

3.自分自身のコミュニティとの関わり方について

ある人と話していて、自分の中で整理できたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。

僕は、あんまりコミュニティに入り込むということができなくて、常に一定の距離をとるところがあります。

道連れになっても良い、そう思えるコミュニティ。

なんとなく、地元ならそう思える。だから地元に帰る。
そういうことなのかもしれないなあ、なんて。

優先順位がないのも、こういう背景があるかもしれない、と思うと、
このことについてもう少し振り返ってみる必要があるかもしれませんね。


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「ライブスクライブ」-このペンは筆記の経験を変える

カテゴリ:世の中の事


まさか、日本海の離島で最新のテクノロジーに感動することになるとは。

本日、海士町を訪問しているある企業の方が、このペンのデモンストレーションを生徒と塾のスタッフに見せてくれました。
メモしたそのときその場の音声が再生されると「スゲー!!」と歓声が湧き、ピアノの鍵盤を紙に描き、その鍵盤をなぞるライブスクライブからピアノの音色が再現され、どよめきが起こる。

この動画をみても伝わらないかもしれませんが、ライブスクライブはメモという行為に人間の五感をフル動員し、創造性を高めてくれる可能性を秘めている、そう感じました。

言葉で説明できるか不安ですが、ライブスクライブの主な機能の一つ、音声再生機能をご紹介しましょう。

0.大学の講義を想像してください。ライブスクライブを利き手に持ちます。専用ノートも用意しましょう。
1.講義が始まる直前に「録音」を開始します。
2.録音を開始したら、あとはいつもどおり 講義メモをとりましょう。
3. 講義メモを取り終えたら「録音」を停止します。
4.さて、試験前になりました。もう一度講義メモを 読み直しましょう。
5.読み直してよくわからないところがあったら、 該当部分をライブスクライブでタッチ。
6.タッチされた箇所をメモしているときの教授の講義が 再生されます。
そう、1~3で録音した、あの講義の音声が流れるのです。しかも、メモしたその瞬間に教授が話していたことがピンポイントに。

たぶん、伝わらないですね笑
百聞は一見に如かず、と言いたいところですが、実はこのペンは日本ではまだ販売されていないそうです。
Amazonでは輸入品を購入できます。


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リーダー待望論に見る日本の努力主義とその停滞

カテゴリ:世の中の事


僕がTwitterに流したこの記事が、地味にアクセス数を稼いでいました。

何が鍵を握っているかというと、政治のビジョンをしっかりと描きそれを実行に移していくためにリーダーをしっかりと支えるブレイン集団が存在すること、社会が抱える様々な潜在的な問題を早い段階で政治のテーブルに載せ、それに対処するための政策の選択を専門家がきちんと洗い出し、どれが最適かを議論したり、社会を構成する様々な人々の意見を聞きながら実行していくためのプロセスが制度としてしっかり確立していること、そして、そのプロセスが透明性を持っていること、候補者の人気投票ではなく政策議論を中心とした選挙を可能にする選挙制度があること、研究実績も博士号も持たない肩書きだけの「教授」や御用学者ではなく専門知識に長け社会を良くしようというやる気に満ちた学識研究者が歳に関係なく自らの能力を政策決定に反映できること、大学で専門知識を学んだ人がその能力を生かせる行政の職場に就き、エキスパートとしての立場から行政を行ったり政府に対して意見や提案を行えること・・・。スウェーデンの政治や社会を見ていると、以上のような「制度」の確立のほうが特定の個人のリーダーシップの有無よりも非常に重要な鍵を握っているのではないかと思う。

だから「スウェーデンの現在の経済や政治を導いてきた代表的なリーダーは誰ですか?」と尋ねてくださった方々には申し訳ないが、「こんなリーダーがいたから、今のスウェーデンがあるんですよ」と一言で述べて、その人物のリーダー哲学を説明してあげることはできない。私の答えは、上に示したように、一言では言い切れない。スウェーデンで政治に携わったり行政のアドミニストレーションに携わったりする人に求められるのは、心を動かすようなリーダー論や人生哲学ではなく、むしろ組織の中での効率的なマネージメントの能力やコミュニケーションの能力、他人とのグループワークの能力といった「地味」で実務的な能力だ。大学教育の経済・経営などに関する教育課程でもそういった要素が重視されているし、他の学生と一緒に一つの課題をこなすというグループワークは他の教育分野でも一般的だ。

今の日本の政治に欠けるのは果たしてリーダーシップなのか? – スウェーデンの今

「ふがいないリーダーがいるから失敗する。リーダーシップのある優秀な人材であればうまくいく。」という発想。
失敗を個人のせいにするか、失敗を発生させる環境の中に原因を追究するか。

日本は往々にして前者の「自己責任」の論理が優先されるように思います。
全員が同じルールの下に集まり、同じ課題を与えられる学校教育においては、その傾向は顕著です。
「みんなできていることをしない・できないのは怠慢、努力不足の証拠」なのです。

2010年の初夏、大阪で風俗勤務の女性が2人の子どもを家に閉じ込め、死体を遺棄するという事件が起こりました。
あの事件の後のmixiニュースに対する加害者への非難・中傷は見ていられないほどでした。

しかし、加害者ははじめから「殺人者」 になるような特徴を兼ね備えていたのでしょうか。
加害者が置かれた環境が、加害者を殺人者にまで追い込んだのではないか。僕はそう捉えています。

この記事を読みながら、映画「降りてゆく生き方」のプロデューサー、森田さんのTweetを思い出しました。

欠陥品が出ると「本当は完全品を生み出すシステムなのに、偶然欠陥品がエラーとして出てしまった」と思う人が多い。しかしそうではない。真実は、「そのシステムは、欠陥品を生み出すのに最適なシステムである」ということなのだ。less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply

 

僕としては、森田さんの立場に賛同します。
根性に頼ることなく、仕組みでなんとかする、という発想は個人でも組織でも適応可能です。

例えば「Lifehack」。
人間の心理や行動、クセに関する最新の研究を踏まえて理に適う方法で習慣化・効率化を実現する。
根性論に染まりきってしまうとなかなかできない発想かもしれません。

なぜ自己責任の論理が強調されるのか

個人的に関心があるのは、どのような影響の下で自己責任の論理が染み付いてしまうのか、という点です。

一つ考えられるとすれば、「平等」の意識が強いこと。
(見た目は)日本社会においては機会の平等が保障されていることが多いので、その中できちんと機会を実らせる人がいれば、 そうでない人は機会を生かせなかった、というレッテルを貼られるのはある意味フツウのことと言えます。

「オレはできたのになぜお前はできない!?」といわれても、正直困ります。
「能力はみんな同じ」という前提が成り立つなら、確かに個人 の怠慢が原因になるかもしれません。
「適性は個人によって異なる」ということをみんなぼんやりとでも認識していると思うんですけど。

過剰な平等主義とその結果としての自己責任論。
構造を変える、システムを変えるという発想を遮っているのは、僕らの中に組み込まれた論理なのかもしれません。


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