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平等のデザイン

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昨夜、寝る前にふと思ったことをメモ。

今の社会を徒競走に例えてみました。

まず、ランナー毎に、「スタート位置の違い」と「走る速さの違い」が考えられます。

スタートラインの違い=先天的格差、環境格差
走る速さの違い=後天的格差、実力格差

徒競走において「平等」を実現するとしたら、どのような観点があるでしょうか?
スタートとゴールだけをいじるとなると、たぶんこの4パターンになります。

1.環境格差も実力格差も是正しない - 何も手を出さない
2.環境格差 だけを是正する - 全ランナーを同じスタートラインに立たせる
3.実力格差だけを是正する - タイムが一致するように各ランナーごとにゴールを決める
4.環境格差も実力格差も是正する - 2+3

これら以外にもいじれるところはありますね。
足の速い人ほど重い靴を履くとか、レース前に足の速い人がそうでない人にコーチをするとか。

直感的には、上記1~4の中だけを見ると、3、4は多少やり過ぎのように思います。
とはいえ1も気の毒な感じ…。というわけで2かな、と。

要はどの部分を保障するか、というのが重要になってくるわけですね。

・徒競走への参加(誰でも参加できる)
・初期条件(スタートラインは揃える)
・結果(ゴールorタイムは同時)
・プロセス(?)
・満足度(みな満足ならOK)

日本は「機会の平等」が大好きな国だと個人的には思っています。
「全員がチャンスを与えられているのだから、モノにできる・できないは自己責任だ」
つまり、日本では「徒競走への参加」以外を保障しようとする機運がないのではないか、と。

単なる思い付きですが。


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秋田の神輿と梵天(ぼんでん)の不思議

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秋田は神輿を担がない?

海士町・宇受賀地区のお祭りが先日行われました。
見た目からして立派で重そうな神輿を、島の男手計40名が担ぎ、ぐるぐる回ったり、高く掲げたりする様は圧巻。
(実は僕も担ぎ手登録はされていたんですが、先月の捻挫が未だ治らず、登録抹消…)

そういえば、僕の地元の祭りは神輿を担ぐことはありません。
神輿は車にのっていて、子どもたちがそれを曳いて町を練り歩く。あえて言えば山車の形式ですかね。

気になって調べてみましたが、秋田県内の祭りは基本的に神輿より山車(担ぐより載せる、曳く)の方が多い印象でした。
(参考サイト:http://www.akitafan.com/

神輿自体はあるのだから、単に担ぎ手が少なくなったから、という解釈もできそうです。
もし、元々秋田では担ぐことが少なかったとしたら、その理由は何か。

※いや、そんなことない、結構担いでるよという方いらっしゃいましたらご指摘ください。

秋田といえば、梵天(ぼんでん)

というようなことを役場の課長と雑談していたら、「秋田の祭りはどげか?」と。

考えてみると、海士に比べれば秋田は圧倒的に冬祭りが多い。
「地元学からの出発」の結城登美雄先生も、

秋田は全国的にみても沖縄に次いで伝統行事が残っている。
冬の祭りの件数、豊富さなら全国一だろう。

とおっしゃっていたことをふと思い出しました(うろ覚え)。

地元の祭りはというと、真っ先に思い浮かぶのが梵天(ぼんでん)。
残雪まばらな3月、町内を練り歩いて家々(やや)を巡った後、嶽山(277m)という地元のシンボルを重さ30kgはある梵天を持って登り、山頂に位置する嶽六所神社 に奉納します。
参考:ふるさと こんにちは [神岡地域] – 嶽六所神社奉納梵天

梵天を課長に説明しようとしたんですが、これがなかなかうまくできない。
そもそもあの梵天の形状を言葉で表現するのが意外と難しい。
なぜあのような形式で行うようになったのか、なぜあの時期に行うのか。
考えれば考えるほど、結構知らないことばかりなんだと実感しました(悔しい)。

伝わらないもうひとつの理由があります。
梵天の祭りは、基本的に秋田でしか行われていない行事なのです。
「ぼんでん」と呼ぶのも秋田だけ。フツウは「ぼんてん」と読みます。
「なぜ秋田だけなのか」も、Google先生にちょっと聞いたくらいじゃわかりませんでした。
周囲に勝手に秋田マーケティングを進めてきた身として、これは調べないわけにはいかない。

秋田の祭りや伝統行事について、いい感じの本があればぜひご紹介ください!


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過去のブログでお気に入りの10記事

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どこかで「ブログを書き、それを都度読み返せ」という記事を読んだので、
久々に過去のブログを読み返してみました。

海士町に来た後の記事は、久々に読んでも違和感がそこまでありません。
内容もそうですが、文体がずいぶん変わったような印象があります。

振り返りながら、今の自分の視点から「これは書いてよかったな」という記事を10ピックアップしてみました。
やはり、海士町来島以降に書いた記事が大半を占めます。
それと前後するタイミングで、「自分が書きたい記事を書く」という境地に近づけたのかもしれませんね。

・自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う

2010年7月に起きた、大阪の2児死体遺棄事件を受けて。
mixiニュースについたコメントの配慮のなさ、当事者意識の欠如に腹が立って、こんな記事を書きました。
Twitterでも何度かRTされ、僕のブログとしては珍しく一日で100以上のPVを達成しました。

・秋田の婚姻率が低いのはなぜか―結婚しない/できないの根本

「どうやったら結婚率は上がるのか」について知人とやり取りをした後でまとめました。
結論から言うと、結婚のハードルが上がっているから、結婚が減るのも当然だよね、ということを書いています。
しかし、それが少子高齢化の進む秋田の中でコンセンサスが取れているかというと、微妙です。
問題意識をまず共有すること、そこから建設的な議論ができるのではないか、という思いも込めて。

・「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷

広井良典著「コミュニティを問いなおす」をベースに、「個人」が台頭するに至る背景を考えてみました。
単に「個人の時代だ!」と煽るだけでなく、コミュニティの変遷と絡めながら、コミュニティが縮小し、個人がインターフェースとなりつつあるという視点を入れてみました。

・続・「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷

上の記事の続編です。
コミュニティの変遷のメカニズムについて捉え方を提案しながら、新しい時代に求められる教育と「言語化」について述べています。
これらの記事から、僕がなぜ教育という分野に関心を持ったのかが伝わるかもしれません。

・「津山三十人殺し 最後の真相」は読んでみるといいと思う

戦前に起きた、たった一人の男が起こした残虐な事件。
現代を生きる著者がその事件の背景と謎を追ったノンフィクションを読んでの書評です。
「昔ながらのコミュニティ」が、果たしてそんなにいいものだったのだろうか?
その二面性に迫ることができる良書でした。

・ワカモノの不安と大量生産・大量消費される価値観

震災後、Twitterのなんとなく抑圧された感じにうんざりして書いたのがこの記事です。
価値観という足場を揺さぶられながらも堕落しないように必死に乗り移っているような構図が見えたことが、この記事を書く動機となっています。

・【メモ】責任の分散された都市部と買占め – 同居人のブログを読んで

これも震災に絡んでの記事。
震災後、ところどころで語られるエピソードが僕の関心ごとにリンクし、この記事を書くに至りました。
海士町に来たからこそ書けた記事であることは間違いありません。

・【終了】 #komachi115 4.29さくらこまち115おかえりなさいプロジェクト【動画あり】

震災直後から運休していた秋田新幹線「こまち」の運行復旧を祝うプロジェクトの紹介記事。
こういう紹介記事が即座に書けたことにちょっと感動してしまったのはここだけの話。

・高校生に新生児を置き去りに”させてしまった”日本社会という捉え方

2011年5月、秋田県南部の高校生カップルが生まれたばかりの子どもを公園のベンチに置き去りにした事件。
自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う」の事件との共通点を感じてしまい、書かずにはいられなくなって書いたのがこの記事です。
もっと建設的な議論が世の中に広まれば良いのに…。

・自分らしい働き方を実現する社会に-「スローキャリア」

キャリア関連の本を本格的に読み出そうと思ったところで、最初に手をつけた高橋俊介氏の著書の書評。
この本は自分らしい働き方を自分なりに模索し、自分でキャリアを切り拓きたいという方には間違いなくお勧めです。

このリストに負けないような記事を今後も書いていきたいです。切実に。


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