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「幸せ」ってなんだろう -このブログの原点を確かめる

カテゴリ:自分事

このブログのタイトルにもある、「幸せな暮らし」。

僕らくらいの世代は、バブル崩壊を小さい頃に目の当たりにし、「リストラ」という言葉をテレビのニュースで覚え、いい大学を出ていい会社にで一生を終えることが「幸せ」ではないことを、なんとなくわかっていました。それだけ今の若い人は「幸せって何だろう」と考える機会があった、 とも言えるかもしれません。

“今この瞬間に、明日・一年後・将来を楽しみにしているかどうか”が、”幸せかどうか”の分岐になっているんじゃないか、と僕は考えています。
目の前の勉強や仕事や人付き合いも、それに取り組んでいる最中は、なかなか意義を見いだせなかったり、面倒くさかったり。”希望”を見いだすことができなければ-「将来的にはトータルでプラスになっているだろう」 という楽観がなければ-どうしてもその瞬間に楽な方に逃げたくなる。そういうメカニズムが働いているように見えます。

僕が「この人、幸せそうだなー」と思うのは、目の前のことに楽しみを自ら見出したり、工夫したり、些細なことを大切にできる人です。
収入でもステータスでもどれだけ異性にモテるかでもなく、日ごろの態度が”幸せ”につながっている、そんな風に思います。
刹那的に生きることが昔から嫌だった、というのもあるのかもしれませんが…。

“幸せ”ってなんだろう。
その問いに一般的な解を求めるのは難しいかもしれませんが、まずは僕自身の生活や仕事の中でヒントや気付きを見つけていくつもりです。
そして、その先で「教育」とか「キャリア」とか「コミュニティ」といった僕自身の関心領域 が交差している。ブログを引越しして、改めてそう思ったのでした。

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自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う

カテゴリ:自分事

2幼児死体遺棄:室内に放置 23歳の母親逮捕 大阪

僕はテレビも見ないし新聞も読まないが、会社ではiGoogleをホームにしているので、このニュースはすぐ知ることができた。

第一報は、「腐敗した二児の遺体が発見された」。
まだ、母親は逮捕されていなかった。

嫌な予感がした。
また、世間は母親を殺意ともとれる勢いで非難するだろう。

僕が帰宅する前に、母親は逮捕された。
予想通りの展開だった。

帰宅して、mixiを開いてみた。
案の定、ニュースには大量の日記がくっついている。
深夜0:00付近で1000件近い日記がすでに書かれていた。
大久保コーチの暴行事件のニュースなんて、130件かそこらだ。

でも、この日記の件数が表しているのは、「注目度の高さ」じゃない。
「善悪の分かりやすさ」だ、と僕は思っている。

もっと言うと、「叩きやすさ」だ。
事実上の殺人者である母親を散々叩いても、世間は否定しない。むしろ便乗してくれる。
「命を大切にしろ!」「お前みたいなヤツは母親になるな!」「そうだそうだ!」

生命の尊さを知らず、子どもを見殺しにする、最低な親。
誰が見ても「悪」にしか見えない、ということらしい。
最近はもう少し叩く側のリテラシーも上がり、 「周りはどうして気付けなかった?」 「児童相談所は何回も訪問していたんじゃないのか?」 と、矛先を変えている人もいる。

正直に思ったのは、どうやったらこの事態を止められたのか、僕が何かを口にするには、あまりに情報が少ない、ということだ。
今回に限らず、いつもそう思う。

僕が慎重すぎるからだろうけど、世間の人は慎重さがあまりに欠けているように思える。
想像すればするほど、自分が未だかつて至ったことがない境地を目の当たりにすると思うのだが。

ニュースから分かることを「事実」として、とりあえず並べてみる。

・家族構成は、母親(23)、長女(3)、長男(1年9ヶ月)。母親は、2009年5月に夫と離婚。
・母親は、2010年1月から、風俗店で働き出す。
・母親は、2010年6月下旬より前、まだ生きている二人の子どもを残して友人宅を転々とし、 同月下旬に帰宅して死亡した二人の子どもを発見、すぐに部屋をでる。
・隣人からの異臭や泣き声の苦情が管理会社に相次いでいた。
・虐待を疑う通報が2010年3月30日~5月18日に、計3回あった。児童相談所はその事実を確認できず、子どもの安否も確認しなかった。

子ども二人を抱えながら、風俗店で働くことの心境を、僕はイメージできない。
たぶん、母親は大学を出ていない。離婚する前は、職にもついていなかったかもしれない。
働いて一人で生きていくだけの能力を持ちえていただろうか。

離婚し、子ども二人が手元に残る。
大学を出るか出ないかという年齢で、当時なら2歳の女の子と7ヶ月くらいの男の子を育てる。
僕が、万が一こんな状況になってしまったら、どうするか。
僕は稼がなければならない。これはどうしようもない。
でも、こんなにも小さい子どもを家に置いていくなんてできない。

家族か、もしかしたら友人を頼るかもしれない。
でも、この母親は頼らなかったのかもしれない。
風俗店に勤め始めてから住み始めたマンションだ。隣人に知り合いはいない。

転々とする友人宅はあったのだ。彼女は頼れる人がいたと考えてもいい。
でも、事実はこんな具合だ。頼れなかったのか、頼らなかったのか。
頼り方がわからなかったんじゃないか。
何となく、僕はそう思う。

子どもを養うために、風俗店に勤める。
なぜそうしなければならなかったのだろう。
誰かがそれを止められたんじゃないか。
若いときはいいかもしれない。年をとったら?それでも風俗で働き続けることができる?

親は?母親の両親は何をしていたのか? なぜ一緒に暮らさなかったのか?
まさか、結婚を境に断絶だなんて、分かりやすい展開じゃないよね。

夫は?仕送りはあったのか?
別れてから、子どもの様子を心配したことが一度でもあるのか?
だめだ、ヤンキーの兄ちゃんの顔をつい思い浮かべてしまう。

ああ、今気付いたけど、母親の名字と、子どもの名字が、違うね。

母親は、どうして子どもをほっておこうと、決意したんだろう。
どのような心の動きが、そうさせたんだろう。

彼女に倫理観はあったんだろうか。
生命の尊さが分かっていたのだろうか。
子どもに憎しみがあったのだろうか。
元夫に憎しみがあったのだろうか。
母親自身を産んだ親に、憎しみがあったのだろうか。
自分自身に、憎しみがあったのだろうか。

育児に疲れたのだろうか。
風俗という仕事に疲れたのだろうか。
今の生活そのものに疲れたのだろうか。
将来が見えないことに疲れたのだろうか。

単に、子どもを殺したかったのか?
産んだときから、子どもは邪魔だったのか?

どんな心の闇が、母親の中に住み着いていたのか。
どんな気持ちで、「育児が嫌になった」と言ったんだろう。

このニュースを見ていると、 「女子高生が学校のトイレで出産し、そのまま子どもを流した」 という、それはそれは衝撃的な事件を思い出す。
どういう気持ちで子どもを産んでしまったんだろう。
「処置に困った」 そう彼女は供述し、水を流した。

彼女は命の大切さを知らなかったのか?道徳感が欠落していたのか?
もしかしたら、本当に「困った」のかもしれない。 誰も助けてくれない。誰に言えばいいか分からない。
出産がばれたら親に怒られる。先生に怒られる。友達に見放される…。 と思っていたのかなあ、と、容易に想像できる。

あくまで、想像。話がそれた。

「隣人が悪い」「児童相談所が悪い」 って日記に書いた人は、電車の中で子どもに怒鳴っているお母さんを制止したことがあるのかな。
Twitterやmixiボイスで「ああいう親最悪だよね」って流して終わりにしていないよね。まさかね。

「日本社会のコミュニティが崩壊している」 って言う人もいる。
確かに、母親には”社会資本”が不足している印象は受ける。
でも、よくわからないけど、「23歳でバツイチで子ども二人いて風俗店に勤めている」人を すんなり受け入れてくれるコミュニティが、あるだろうか。

少なくとも、僕の地元では無理だと思う。
「多様性」なんて言葉も知らないし、「世間体社会」だもの。
友人とか、元同級生とか、そういうつながりが前提にないと、 コミュニティに所属しても、「参加」は難しいかもしれない。

そもそも、(結果的に)誰にも頼らず子どもを見捨ててしまうような母親だ。
自分からコミュニティに参加する術を知らないんじゃないか。
社会性が欠如しているかもしれない。空気が読めないかもしれない。
そんな人を歓迎してくれるコミュニティが日本にあります!と、僕は胸を張って言えない。

NPOとか、そういう人たちと出会えれば良かったのかも。
でも、恐らくこの母親みたいに(コミュニケーションを含め)リテラシーが低い人が NPOに頼る、という選択肢を自分で見つけることに懸けるには、可能性が薄い。

そうやって頭を巡らしていると、ついついこう結論付けたくなる。

彼女は「詰んでいた」。

日本社会というゲームの中で、レベル上げが足りないままダンジョンの奥深くへ入ってしまった。

長々と書いたが、結局これは僕の想像だ。
そして、実はこの想像が外れることを最も強く願っているのは、僕だ。

そんな深い悲しみ、深い闇が現実にあるとは、できれば思いたくない。
母親は極悪で、命の大切さも知らず、身勝手な行動に出た。
反省の様子はなく、心の底から飄々としている。
腐敗した子どもの死体を見てなお、友達の家を転々として、 「うちの子どもはもう死んじゃったから気が楽なの、うふふ(笑)」 なんて言って気にも留めず、当たり前に飯を食い、当たり前に接客をする。

そんなディズニーみたいな、勧善懲悪で済む話であれば、まだ、日本は平和だと思う。

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