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「ヤノマミ」の営みに何を感じるのか

カテゴリ:読書の記録

アマゾンの奥地に住み続け、文明との接点をほぼ持たず、一万年以上独自の営みを続けているヤノマミ族。
彼らに密着し、長期にわたり彼らと生活を共にしながら取材を行ったNHKのディレクターによる一冊。

世界中を埋め尽くしつつある「文明」と真逆に位置する彼らのありのままの姿が、そのまま「問い」として跳ね返ってきます。
僕らの属する「文明」の基礎をなしているもの、僕らが「当たり前」と捉えているもの。
有形無形問わず、僕らが驚くほどの数の人工物に囲まれているという事実を突きつけられたとき、僕らは何を思い、感じるべきなのでしょうか。

「ヤノマミ」とは「人間」という意味

「文明」の影響をほとんど受けていない彼らの風習は、僕たちの「常識」というフィルターを通じて見た場合、共感しづらいものがほとんどです。
僕らの「文明」の中であれば到底理解できず、有無を言わさず重罪を課せられるであろうものも中にはあります。

しかし、読んでいても、不思議と彼らを「野蛮だ」と断定する気にはなりません。
おそらくこれはヤノマミをありのまま理解しようとした誠実な著者の功績によるものでしょう。
著者は「文明」をバックに彼らに迫るのではなく、一人の「人間」としてヤノマミに接触しました。
それは著者自身の身を危険にさらすリスクを伴いましたが、その姿勢が本書のクオリティを高めているように思います。
(まさに「郷に入っては郷に従え」 ですね)

「ヤノマミ」とは彼らの言葉で「人間」という意味。
本書に描かれる営みもまた、同じ「人間」によるものです。
彼らの営みは、「文明」の側に留まる僕らの「常識」に強制的に揺さぶりをかけてきます。

共感、違和感、畏敬の念、これまで築き上げた価値観との矛盾。
あらゆる情感が不規則に立ち現れ、戸惑いはますます大きくなり、その勢いは止むことを知りません。
次第に彼らの「常識」と僕らの「常識」の境界があいまいになり、僕らが正しいと思っていたことの輪郭がぼやけてきます。

読後、僕の内には自分たちの基礎をなすものたちへの疑念だけが残りました。

もしも感想を一言でまとめるとしたら、「圧倒」、これに尽きます。

ノンフィクション好きな方、おすすめです。
話題にもなった本ですので、ぜひ手にとって読んでみてください。きっと、あっという間に読み終わってしまうはずです。

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「困ってるひと」に今年一番心を動かされた

カテゴリ:読書の記録

 

(今更な感もありますが。)

ずいぶん前から話題になっていて、今年の7/29にAmazonで注文した後、ずーっと放置したままだったこの本。
ほぼ日に著者の大野更紗さんのインタビュー記事が出ていたので、ふと思い出して、手にとってみたら、あっという間に読了してしまいました。
思わず引き込ませる文章もさることながら、壮絶な(というべき)難病の「当事者」としての出来事の数々に、思わず呆然としてしまう読後感に襲われました。

著者の大野さんは「筋膜炎脂肪織炎症候群」と「皮膚筋炎」という難病にかかりました。
「二十四時間三百六十五日インフルエンザみたいな状態」が続き、それ以外にも様々な症状を抱えています。
つまり、”人並み”の日常生活を送ることが困難になったということです。

この本は、いわゆる「闘病記」ではない。もちろん、その要素も兼ねざるを得ないけれど。

困ってる人

前書きのこの断りが、実は重要です。
本書は病気と向き合う人間の姿勢、命の尊さ、そして感動…という”よくある”「闘病記」とは大きく異なるものです。
ここに描かれているのは、普通の(?)女子大生が突如として「当事者」になったお話です。
そこには読み手がときに恥ずかしくなるくらいの率直で、等身大の著者の姿があります。

ここで多くを語るつもりはありません。
というよりは、うまくこの本の良さを語ることができません。
一つだけ言えるとしたら、2011年で最も心を動かされたのは、この本だということです。

大野  だから、あたりまえのことをていねいに伝えていくという作法が、これからの日本社会では、すごく重要なんじゃないかなと個人的には思っています。「おもしろいと思って、おもしろいのをつくる」というのはちょっと違って‥‥。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 健全な好奇心は病に負けない。 大野更紗×糸井重里

口語体の入り混じる文章、「闘病記」を期待すると痛い目を見るようなエンターテイメント性には、賛否両論があるかもしれません。
実際、Amazonのレビューでも酷評している人がちらほらいます。
中には「闘病者」としての態度に欠ける、という視点もあるようですが、残念ながらそれは「バイアス」の作用だと僕は思います。
むしろ、「闘病者」に対して我々が期待してしまうようなメンタリティから意図的に距離を置くことで、「25歳の女の子で難病の当事者」というリアリティを正確に、かつコミカルでやわらかに伝えようとしていると感じました。
この本には誰も「悪者」が出てこないことも、そして著者自身でさえ「正義」でもなんでもないんだよ、ということも、説教臭い教訓を飲み込んで「当事者」であることに徹したことを示しているように思えてなりません。
本書は「あたりまえのことをていねいに伝えていくという作法」に挑戦した結果なのだと思います。

と、ここまで書いて、自分の言いたいことが分かりました。

この本に書かれていることは、「美談」でもなんでもないんです。
日本人は「自分で何とかする」美談が大好き?でも書いた、その「美談」です。

だから、いいんですよ。この本。

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新卒の就職活動に成功する人・失敗する人の唯一の違い

カテゴリ:世の中の事

今日、なんとなく読んでみた「はたらきたい。」に強烈にはまりました。
2008年3月に出版されたみたいですが、リーマンショック以後であっても魅力的な内容だと思います。

なぜか。

僕が就職活動や採用に関わったことを通してなんとなく見えてきたような気がした、
就職活動がうまくいく人といかない人の違い
の見分け方を、あっさりと言葉で言い表されたように感じたからです。

「大切にしてきたことは、何ですか?」

この本は、5つの対談がメインとなっている。
僕の中で特に印象に残ったのは、一つ目と二つ目の対談だった。

一つ目、糸井重里氏と人材紹介会社の河野晴樹氏の対談にて。
河野氏がこう語る

ですから、本当のことを言っちゃうと、新卒の面接をやる場合、「君がさ、これまで大切にしてきたことって何?」という、ものすごく概念的な質問で十分なんですよ。

新装版 ほぼ日の就職論「はたらきたい。」 

糸井氏の返しがまた面白い。

いや、つまり、面接官がそう思ってるんだって知ったとき、「聞いてもらえた!」といううれしさと、「やばい、聞かれた!」というあせりと、どっちかの反応しか、ないですよね。

新装版 ほぼ日の就職論「はたらきたい。」 

これだ!と。 新卒で就職活動に成功する人、失敗する人を分けるのは、きっとこの違いだけなんだ、と。

ここからは僕の考えです。

「大切にしてきたこと」は、モノでもいいし、具体的なことでもいいし、ポリシーでもいい。
そこに、ある種の一貫性のようなものが伴えばいいのかな、と僕は感じています。

「大切にしてきたこと」像をもう少し具体的にすると、以下の要素を含んでいると考えられます。

他人に言えることか

「言える」というのは、「恥ずかしくて言えない」というニュアンスとは異なります。
「人様に伝えて”問題ない”ことか」というくらいの意味です。

たとえば、「毎晩家族にきちんとメールする」ことを大切にしているなんて
他人に言うのは気恥ずかしいけれども、「家族想い」と共感を得られるかもしれない。
だから、これは「言える」。

しかし「いかに自分ではなく、他人のせいにして事を逃れるか」を大切にしてきていると
誰かに伝えたとしても、それを聞いていい反応が返ってくるとはあまり思えません。
何か引っかかりのある、問題のある発言に感じます。

単に、「言い方」が問題となるときもあります。
価値観の話なのだから、絶対的に悪ということはまずありません。
逆に言えば、絶対的に善ということもまたないのです。
どんなにいい話でも、必ず共感を得られるとは限りません。

しかし、それが故に自分の「大切にしてきたこと」を他人に伝えることに抵抗を覚える人がいます。
否定されたり、受け入れられなかったりしたときのことを危惧して。
これは、率直に言って残念なことだと思います。

そう不安がる方へのアドバイスは2パターンかんがえられます。

まずは表現の仕方を変えてみるということ。
相手に伝わるように言葉を選ぶ。別の言葉で言い換えてみる。
自分の大切にしてきたことのいい面、悪い面を整理してみるとよいでしょう。

もう一つは、他人の価値観を受け止めるようにするということ。
別になんでもかんでも肯定しろと言う話ではありません。
あるがまま受け止める。
その発想がないから、他人が自分の価値観を受け止めてくれるイメージも湧かないのかな、と。
そのためには、中立な立場から、いい面、悪い面を抽出する必要があります。

相手の第一印象がよかったら、あえて悪い面に着目する。
逆に印象が悪かったら、あえていい面を見出そうとしてみる。
自分に偏りがあることを自覚し、それでも相手の価値観をまずは整理してみること。
自分が大切にしてきたことも、同じように整理してみるといいのではないでしょうか。

言っていることとこれまでやってきたことが矛盾していないか

言動が一致していないのなら、どうしても「大切さ」を疑ってしまいたくなります。
どちらかといえば、「言葉」よりも、「行動」や「感情」が先立つのではないでしょうか。
その後から「言葉」がついてくる。なんとか説明しようと試みる。そんなイメージです。

これが「一貫性」にもつながってきます。
間違っても「私はワークライフバランスが大切だと…」なんて発言はしないはず。
「大切なこと」を、どこかから借りてきた言葉で ちぐはぐに表現するなんて、大切にしている本人が最も耐えられないはずなのですから。

就活でついついテクニカルな話題に振り回される人も少なくないようです。
「インディペンデントでいられるか」という糸井氏の表現がありますが、
「大切にしてきたもの」があれば、それもきっとたやすい事なんじゃないかと思えてきます。

仕事で大切なこと-「幹事のできる人」-

二つ目の対談は、漫画家のしりあがり寿氏と糸井氏。

しりあがり氏は「うちで重用するのは『幹事のできる人』」と話している。
これがまた深い言葉ですね。

ここからはまた僕の考えですが、『幹事のできる人』の要素はいくらでも挙げられます。
そう、「いくらでも挙げられる」のがポイントになるのです。

・念入りな準備にエネルギーを割ける
・シナリオどおり、タイムスケジュールどおりに進行できる
・周りに助けてもらえる
・他人を動かすことができる
・参加者の”ツボ”がなんとなく分かる
・失敗してもキャラ的に許される
・一人で盛り上げることができる
・他人を生かして盛り上げることができる
・予想外の事態でもきちんとリカバリーできる
などなど。

これらすべての要素を持っている人はいないでしょう。
でも、名幹事はすべからく 自分自身の何らかの特徴を上手に生かしているはずです。

逆に言えば、「幹事をうまくやる」ためのアプローチは一通りではないということ。
様々なアプローチが可能であることにこそ着目すべきではないでしょうか。

仕事のやり方は一通りではありません。適性なんてやってみないとわかりません。
自分で自分の適正が分からなくても、上司や先輩にはきっと見えているはず。
彼らを信じ、彼らに従うことが実は正しい、なんてことも少なくないのではないでしょうか。
やってみたら思った以上に面白かったという経験はきっと誰しもが持っているはず。

就職する前から経験したこともない業種や職種に強い志望を持っている人がいます。
僕からしたら、それはものすごく不思議なことでした。
(大学で情報処理を学んでエンジニアになりたい!というのはもちろん別ですが)

やってみなければわからない。
だから、志望動機なんて考える暇があったら、「大切にしてきたこと」を掘り下げたほうがいい。

そもそも、「志望動機は考えるもの」という考え方が変です。
志望動機は文章化するもので、心の内にすでにあるものなのですから。

というわけで激しくおすすめ

こう自分の意見を書いてしまうと、本書の良さが伝わりづらいかもしれません。
本書の良い点は、対談形式だから、きれいにまとまった言葉があまりないことだな、と。
だから、こうやって僕も自分の言葉で自由に説明したくなってしまうのでしょう。

読んだ人それぞれの琴線に触れてくる言葉がいくつかあるはずで、
それは不思議と書かれた言葉以上のボリュームを帯びて自分の中に入ってきます。

この本を読んで救われる就職活動生も多いのではないでしょうか。

むしろ、この本を読んでもどうとも思わない人ほど行く末が不安です。
(それは、すでにハイパーメリトクラシーでの勝負が決していることを意味する…)

もちろん、この本にだって、答えなんか書いていませんが。

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